海を目の前にした海岸の砂浜に、大きなイナウが立ち並ぶ祭壇(ヌサ)が設えられ、囲炉裏が切ってある。
美しい大柄なアイヌ刺繍が施された衣装を着て、植物でできた冠を被ったアイヌの男性たちが囲炉裏を囲む。そのすぐ後ろに、いずみの学校の4年生児童が、アイヌの文様の法被を着て一列に並び、正座している。
目の前で繰り広げられる、アイヌの儀式「カムイノミ 」
聞きなれないアイヌの言葉、喉を使った独特の音、水、森、海、太陽、龍、、、と13の自然神に順に感謝を伝える、炎天下延々と続くかの様に感じられる儀式を、子どもたちは真剣に、じっと、食い入る様に見つめていた。
いずみの学校がある豊浦町は、ユネスコ指定の世界ジオパークに指定されている。
大地そのものが教材となる豊かな土地。海へ山へと学校を飛び出して学ぶのは特別なことではない。
今回4年生は、メインレッスンで学んでいる郷土学の一環で、学校から車で20分ほどの海岸へ足を伸ばした。
子どもたちは、まず鳥の目から見た教室を描き、それから歩測で学校から駅までを測り、描き、豊浦町の町の地図を描く。豊浦の地名や川の名前がアイヌ語からきている事を学びアイヌのお話をたっぷり聞いた後に、このカムイノミの儀式に参加した。
子どもたちが持って帰ってきたメインレッスンブックには、アイヌのチセ(家)やアイヌ語の地名がえがかれ、切り絵で作ったアイヌ紋様が貼られていた。
シュタイナー学校では、授業参観はなく、普段の学校での子どもの様子を見る機会が少ないのだが、今回はクラスの保護者も参加して良いということで、クラスのほとんどの親が参加していた。
今回、アイヌの伝統的な儀式ということで、子どもたちは「儀式にふさわしい振る舞いをすること」、と担任教師から聞いていたということもあってか、子どもたちは見事に「立派」な振る舞いであった。お日さまが出てきて強い日差しが差してきても正座の足を崩さず、ずっと見入っている。
アイヌのお母さんたちは、子供達になんども足を崩す様に声を掛け、首元を冷やすシートを分けてくれ、と心配ってくれていた。
会場に行った時、準備をしているアイヌの方々の衣装を、「なんて美しいんだろう」と息を飲む様に見ていた、と後から担任から聞いた。
儀式の後、遠く苫小牧や白老、登別から集まったアイヌの方々による唄や踊り、倍音が響いてトランスに誘われるかの様なムックリの演奏。
静かに、心を深く開いて、しっかりと受けとっている。
その子どもたちの様子に、私は強く心を打たれた。
こんなにも素敵な深い「世界との出会い方」があるだろうか、と。
シュタイナーの詩の「夕べの鐘の祈り」の中で、
美しいものに驚くこと
ほんとうのものを守ること
気高いものを敬うこと
善いことを決意すること
それは人を
生きる目標へ
正しい行いへ
安らかな思いへ
光に至る考えへと導いていく
というのがあるが、
彼らはまさにこの様にして、日々、世界と出会っていっていたんだ!
アイヌの世界観に深く根付く「畏敬の念」は子どもたちの中にしっかりと育っていて、世界を美しいものとして捉え、どんどん広がろうとしている。
世界と一体であったところから、自分と他人は分かれているんだ、と目覚め始めた9歳を経て、4年生で初めて社会に出会っていく郷土学。その学びの中で、アイヌの世界観とこの様に出会うことができたことは、子どもたちの一生の宝になるだろう。
アイヌのお母さんたちの優しい心遣い、声かけと、儀式が終わった後、伝統的なアイヌ料理(コンブのタレのお餅、雑穀ご飯、シャケとお野菜の味噌仕立てのお汁、生きてるウニ!1人1つ)を振る舞っていただいて、アイヌの人々の自然との共生、自然の恵みを分かち合うという心も、子どもたちはしっかり受け取った。
シュタイナー学校では、情報の制限や、日々の生活の中で細々と気をつけることが保護者に求められる。
子どもを取り巻く環境としての大人、その大人心のあり方も含めて。それはなかなかに大変なことではあるけれど、高度な情報化社会になり、VRセットが1000円で買える様なバーチャルとリアリティの差がますますわからなくなる時代に、
シュタイナー学校におけるこの「世界との出会い方」は、これからの時代の真の価値となる、と確信が深まった一日だった。
保護者によるブログ(4年生親)
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